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創価学会って何?
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自己の体験から得た確信
会員さんたちは何故、
この仏法が正しいと自信を持って断言できるのか。
それは、自分自身の体験を通して確信を掴んでるから。
一体、どういう体験からどういう確信を得るのか?
ここではあくまで個人的意見を述べてみたいと思います。

信心のおかげで…

生きてれば、いいことも悪いこともいろいろ起きるのが当然で、
それらには、様々な因果関係が複雑に絡み合っています。
人生万事、塞翁が馬とかよくいわれますしね。

創価学会では、信仰と出来事との間に短絡的な因果関係をつけていきます。
単純にいえば、“いいことがあれば信心のおかげ”
“悪いことがあれば信心が足りないから”とみなします。

さらに、そういった思い込みを強化するために、以下のような論理も使われます。
信心してなくて(さぼって)いい事があったら魔の誘惑
信心してて悪いことがあったら、
信心してなかったらもっと悪い結果になってたはずと決め付け、
信心してたおかげで軽く済んだと思い込む。
もしくは、信心してる振りしてさぼってたと決め付ける。

こういうふうに、何が起きても信仰の正当化がでるわけで、
特に何もなくても、平穏無事でいられるのは信心のおかげとされます。

選択的確証というワナ

俗に“素人理論”とか言われます。プロの研究者でも、
バイアスかかった研究してしまうことだってあります。

自分の理論(思い込み)に合致する事例だけを根拠、
そぐわないものは例外として除外するやり方で、
単なる偏見が、実体験に基づいた理論に変わってしまいます。
また、そういったのが逆に、ものの見方・感じ方に影響を与えることも。

例えば、「貧乏な家ほど不良が出やすい」といった偏見の人がいたとします。
その人は、とある不良さんの家が実際に貧しければ納得し、
逆に金持ちだったら、なかには例外もあるとして無視。
さらに、貧富の違いがわかりづらいこともあったりするので、
不良の人の家がなぜか貧しくみえてしまうこともあるかもしれません。

確信が深まってゆく

実際に何かいい事がある

それは信心した結果とみなす。

信心した結果いい事が起きたからこの信心は正しい。

別の出来事も信心の結果とみなすようになっていく。

やっぱりこの信心は正しい。

因果関係をこじつけることによって確信が深まる。
確信が深まると因果関係をこじつける傾向が強くなる。
こういった悪循環にハマるとなかなか抜け出せなくなります。
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